【ベーカリー バカンス】
 「職人嫌い」の職人がいる、
無骨なパン屋 【前編】					
普段は厨房の中にいることが多いため、あまり顔の見えない作り手サイド。『ベーカリーバカンス』のパン職人・村本は弱冠24歳にして、バカンス立ち上げ人の一人です。
自分もしっかり職人なのに「俺、ほんま職人って嫌いなんすよ(笑)」とあっけらかんと笑う村本、実は志の強さは社内でも屈指なんです。
「やらせてもらえるのなら、神戸と言わず、海外でもどこへでも行ってパンを焼きたい」
「おにぎりとか食パンみたいに、バカンスというパンを国民食の立ち位置に近づけたい」
話を聞けば聞くほど、意外なほどに柔軟で素直なパンの作り手だということがわかりました。
『パン屋、やってみる?』
2017年8月にオープンしたベーカリーバカンス。先に物件が見つかったものの、長い間パン職人が見つからずにいました。そこでようやく出会ったのが村本。彼は大阪の有名店を退職し、新たに再スタートを切るタイミングでした。
「個人経営の小さな店にいたので、次は企業で働くということを味わってみたくなったんです。転職エージェントから『いやいや、その経歴と身なりでいけるワケないじゃん。でも、面白い人がいますよ』と紹介されたのが、ファイブスクエアの神尾社長でした」

「社長からは『こんなパン屋をやろうと思ってるんやけど、やる? できる?』と、初対面でそう聞かれました。
店作りなんてやったことないけど、『できます!』って即答したのを覚えてます」
当時の村本はまだ22〜23歳。「普通ならこの若さで店を任せてもらえることはないけど、そんな環境を普通に用意してくれた。チャンスには飛び込むタイプなので、迷わなかったっすね」ときっぱり。

「社長が思い描くパン屋のプレゼンを聞いて、シンプルにこの人と一緒に働いてみたいなと思ったんです。大人のことをなめくさってたガキの自分が、初めて尊敬できると思えた人でした」と出会いを振り返ります。
その後、店が出来上がるまでは住み込みで修業へ。向かったのは、丹波市氷上町にある『ヒヨリブロート』の塚本さんのもとでした。
「塚本さんはパン業界の中でも異端児。培ってきたパン作りの哲学を教えてもらえた貴重な時間でした。いい意味でぶっ飛んでる人だし、1ヶ月間の田舎での住み込みだし、そりゃもう大変でしたけどね(笑)」
若いうちに、パン屋で成功したい
「昔からパンが特別大好きやったとかそういうことじゃなくて。とにかく若さを武器に目立ちたかったんすよ」
双子の弟と、さらにもう一人弟がいる3人兄弟で育った村本。弟2人は大手企業や公務員の道に進んだそう。
洋服デザイナーである両親の「兄弟の誰かは自営の道に進んでくれたら…」という願いを自然と背負い、手に職をつける方向になったといいます。
「イタリアンやフレンチ、パティシエとかのジャンルって新進気鋭の天才と呼ばれる人がたくさんいるから、そこで戦いたくはなかったんです。でもパンの世界で有名なのは大御所ばかり。そこだったら若くして勝負できるかも・・・と、中学生の後半くらいには将来の道を決めていました」

高校時代は漫画『クローズ』みたいな世界だったとか(笑)。「勉強ができる奴らに勝ちたいと思って」と、卒業後は1年制の専門学校へ。そして夏に決まった就職先は、大阪・肥後橋にある『ブランジュリー タカギ』。
「めちゃくちゃ怖いけどすごいシェフがいるということで、大阪どころか、近畿中でも有名な店でした。ぬるい場所におったら、自分がダレるって目に見えてる。普通のパン屋じゃなくて、厳しくても関西屈指の職人がいる店で実力をつけたかったんです」
素直で柔軟な、職人らしくない人
子どもの頃からパン職人になる道を決めていたものの、パン業界の派閥や大御所職人たちが作りあげた古い価値観は嫌いだという村本。
「知識面ですごいなと思う職人はもちろんたくさんいるんですけど、比べるものじゃないとも思う。憧れてしまったら、それを超えられない気もするし。尊敬はするけど、憧れはしないっすね」
見た目も考えも、潔いほどいい意味で〝職人らしくない〟パン職人である彼の強みは、素直で柔軟なところ。
たとえば看板商品のバカンスが誕生したときのこと。
高加水のハードパンを一般的にロデブと呼ぶことから、実は当初はそのままロデブという商品名にする予定でした。
そこに、「ロデブって、何なんかようわからんくない? 店名をそのまま商品名にしたら?」という社長の一言。「職人視点じゃ絶対その発想はない。めちゃくちゃ面白い」と、すぐにその案を採用したのが村本でした。

職人の個性を生かしたパン屋が人気の昨今、バカンスが目指すのはあくまで街に愛される店。テーマを持った「コンセプトショップ」のパン職人は、自分の思うパンを焼くだけではなく“コンセプトに合うパン”を焼く必要があります。
それこそ、職人気質の強い店とバカンスでは大きく異なるポイント。村本の強みである、周囲の声を形にする柔軟さが存分に生かされています。
偶然すぎる再会
店作りもレシピ作りも何もかもが初めて。「できる」と公言した手前、とにかくやるしかない状況だったというオープン前。
一人ではもちろん店を切り盛りできるわけがなく、早く求人をかけないと・・・というタイミングで駅で偶然にも出会ったのが、タカギ時代の同僚であり、現在はバカンスグループでともに働くパン職人の追中でした。
聞けば、4年も一緒に働いてきたのに一度も街でも出会ったことがなかったのだとか。それなのに、辞めてから2年ぶりにバッタリ。
職人を一旦辞めてサラリーマンをしていた追中。「パン屋しない? と聞いてみたら、『いいよ、やるやる!』ってまさかの二つ返事だったんです(笑)。たぶん追中さんも、やっぱりパン屋に戻りたかったんじゃないですかね」

心強いメンバーが合流したものの、オープン後は本当にハードだったといいます。「オープン3日前くらいのギリギリに追中さんが神戸に引っ越してきたんで、しばらくはうちで一緒に住んで、交代で寝たり風呂に入ったりして・・・。最初は全然売れなかったのに、めちゃくちゃ忙しかったです」
絶対ブレない最強ワードを軸に
ハード系パンに絞ったエッジの効いた店にチャレンジしたいと考えていたなかで、塚本さんと試行錯誤しながらバカンスという名のパンが完成。
「まさにハード系と食パンの合いの子みたいな感じで、めちゃくちゃおいしかった。これやったらみんなに食べてもらえるんじゃないかって確信しました」
バカンスのコンセプトは、『日常のちょっとしたひと時をバカンス気分に』。「日常をバカンスにできるようなパン、という最強のワードを軸にパン作りをしてるので、ブレません」と言い切る村本。
「バカンス気分っていうのは、パンを食べる空間や、パンを食べたいと思ったその瞬間、買いに行く途中も含まれてると考えてます。オープン当初から今もずっと変わらず大事にしているのはそこですね」
また、自己満なパン作りはしたくないというのもモットー。
「お客さんが喜んでくれることが一番。あとは、バカンスで働くスタッフたち自身も楽しいほうがいいと思うんです。こんな思いでこんなパンが作りたいという気持ちさえあれば、スタッフのアイデアをすぐに商品にしています。たぶん上の世代の職人たちなら、やれ原価がどうだとか、まだ出せない、とか色々と言う人が多いと思う。でも僕はそれはしたくないんすよね」
ちょっと無骨で素朴、それでいて自由。まさにバカンスという店を体現するかのような村本のパン作りは続きます。

 
				 
				 
				 
				 
				 
				 
				