1895年から神戸を見守り続ける、
人と街の“不朽”の交差点

焼き鳥屋 TIMELESS

増永 大

1895年から神戸を見守り続ける、
人と街の“不朽”の交差点

あっという間に12月。今年最後となるnoteでは、Timelessの「場所」にフォーカスを当てたストーリーをお届けします。

私たちのお店が入るビルの1階には服部メガネさんがあるのですが、その歴史をご存じでしょうか。

北側から見た入り口

服部メガネさんのはじまりは1895年。神戸の街の栄枯盛衰を見守ってこられた、創業129年の老舗です。そして実は、Timelessのある3階はかつては服部メガネさんの社長・北出さんのご自宅でした。私たちは歴史ある場所にご縁をいただいたうえに、大切な思い出も引き継がせていただいたのです。

時代を超えて(=Timeless)神戸の人に愛されてきたこのすてきな場所で、奇しくもTimelessという焼き鳥屋を開かせていただいたというめぐり合わせ。「服部メガネさんにまつわる歴史のお話やご自宅での思い出話をぜひお伺いしたい!」とかねてより思っていましたが、その願いが先日いよいよ実現しました!

舶来の薬や文房具を取り扱う店としてスタート

「この建物の3階で暮らし始めたのは22歳のころでした。若いときはやっぱり仕事場と生活するところを別々にしたいと思っていたんですが、いざ住んでみると環境的にも本当に便利でしたよ」とは、北出社長のお母さま。目の前が大丸という立地ゆえ、「大丸が我が家の冷蔵庫のようでした」と当時を振り返ります。続けて、服部メガネさんの歴史を伺ってみることにしました。

お店の前から大丸を眺めるお母さま(左手前)と北出社長(右奥)

「最初はメガネではなくて、居留地に住む人たちに向けた舶来の薬や文房具を扱っていたんですよ」

原点を作った、服部ツネさん

その後大正に入ってからは船員をしていた服部亀吉さんが店を引き継ぐことに。亀吉さんがヨーロッパを訪問した際に検眼セットを日本に持ち帰ったことをきっかけに、現在のメガネ屋さんとしての土台ができたといいます。

「私の父は石川県から服部宝生堂(現:服部メガネ)にやってきてから60年ほど勤めました。お隣は現在は時計屋さんですが、そこに度量衡の部門もありました」

服部亀吉さん(左)。右はその後に店を引き継いだ北出社長のおじいさまで、北出社長は3代目にあたります
服部さんが街の人を集めて講和している様子も写真に残っていました

Timelessの店内に残る、歴史の足跡

「元々は長屋が並んでいて、現在のようなビルの形になったのは1963年から。ここから5軒ほどずっと同じ形の建物が続いています。地下1階から3階建てでしたが、あとから4階部分が増築された形になっています」

この言葉を聞いて、私たちはハッとしました。

実はお店をオープンする前の工事で不思議に思っていたことがあったんです。それは、入り口付近の天井を剥がしてみるとガラスの天窓のようなものが現れたこと。ビル自体は4階建てなのに、なぜここに天窓が?と疑問でしたが、これは3階が最上階だったころの名残だったようです。

新品には決して表現できない味わい深さ。窓の正体は工事の段階ではわからないままでしたが、施工チームとも「これを生かしましょう!」と意見が合致したのでした
「ここには冷蔵庫を置いていたんですよ。元々はタイルがぐるりと一周していて、北側には台所、その隣にはお風呂がありました」
経年による独特の表情が、唯一無二の空間にしてくれました

「昔のままの部分も残してくださっていて、お店に来させていただいたときはすごく懐かしかったですよ。窓から見える大丸の景色もステキでした。それはもう、昔から本当にキレイでしたからね」と微笑むお母さま。思い出の空間のバトンをちゃんと受け取れたのかなと思い、ホッとしました。

移り変わる神戸の街と人の姿

この場所でずっと神戸の街を見守ってきたからこそ、さまざまな移り変わりも感じられてきたようです。

「周辺の雰囲気はあまり大きく変わってないと思いますね。ただ、昔はこの並びには個性のあるお店がたくさんありました。継ぐ人がおらず手放されてしまい、今では随分と顔ぶれも変わってしまいましたね」

おそらく昭和初期のころ。左の建物に「服部宝寶生堂」の文字が見えます

昔はこの並びで商売を営んできた人たちはみな、北出さんのご家族のように1階を店舗、上の階を住居にしていたそう。奥さま方による婦人会も盛んで、積み立てたお金を使ってあちこちへ旅行に出かけたという楽しい思い出話も飛び出しました。

「婦人会のメンバーは12〜3人ぐらいいましたが、私はその中で年少だったので年上の方には本当にお世話になりましたよ。昔はそれぞれにお店をしながらも横のつながりがありましたが、今はそうしたお付き合いも希薄になってしまいましたね」

1903年創業の2軒西隣の「ブティックセリザワ」さんや、1872年に開業した4軒東隣の家具店「永田良介商店」さんなど健在の老舗も。また、元町商店街や三宮商店街へ行けば、数はとても少ないものの昔のように店舗の上に住まわれている方もいらっしゃるそうです。

かわいい少年が北出社長。小学校6年生まで3階に住んでいたそうです

人と街が交わる交差点

服部メガネさんのビルには、4階にダンススタジオ、2階にはコーヒー屋さんも入っています。

さらに服部メガネさんの一角は、夜には「Sharp Eleven」というバーに変身。定期的にライブが開催されています。

「いろんな方がいらして使ってくださることが一番。息子もそれを望んでいるみたいです。誰もいないただの部屋ではなく、いろんな人が出入りする場所であってほしいと願っています」とお母さま。

さらに、北出社長はこう続けます。

「単に人が集まるんじゃなくて、(入居者と)しっかりお話をして関係性を築いたうえで、このビルが“人とつながる場所”になればと思います」

その言葉を体現するように、街のイベントで知り合ったDJとつながり店の一角にミュージックバーの「Sharp Eleven」が誕生したり、気に入っていたコーヒー屋さんが困っていれば「うちの2階空いてるよ」と呼んでみたり。はたまた、知り合いの紹介で出会ったアーティストに声をかけたり。「僕は街を歩きながら仲間を見つけていく。“リアル・ドラクエスタイル”なんですよ(笑)」というのも納得です。

ちなみにTimelessと北出社長との最初の接点は、共通の知人による紹介でした。「誰かに3階に入ってほしいとはずっと思ってたんです。元町の中心で文化を作ってくれる人って誰やろう?という話をしていてつながったのが神尾さん(弊社社長)でした」。

私たちはこの場所に魅力を感じていたものの、そもそも重飲食が入ったことのないビルということもあり「きっと北出さんに断られるだろう」と思っていたという神尾。

ところが「それよりもストーリーが大切」という北出さんの想いに救われて、すてきな場所でお店を開くことができました。

神戸の街のど真ん中。古き良き神戸の息づかいを感じるこの場所で、時代に左右されることのないタイムレスな食体験をお届けしていけるようにこれからも邁進します!

お忙しいなかお時間を割いていただき、貴重なお話をしてくださった服部メガネさん。本当にありがとうございました!
そしてこれからもよろしくお願いいたします。

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