美容師から飲食店へ
『串かつBOB』店長トムの
ちょっと変わった履歴書
元町駅前の小さな串かつ屋『BOB』。実はここ、神戸で人気のヘアサロン『shiomi H』を展開する潮海達矢さん・絵理さん夫妻が始めた店だ。

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今回の主役は、そのカウンターに立つ店長・トム。かつて夫妻のもとで美容師として働いていたが、単身でカナダに渡ったり、お寿司屋さんで修業したり。なんだかんだあって、今は串かつを揚げている。美容師にカナダに串かつ屋。さて、どんな話が飛び出すのやら?

「思ってたんと違う」は最高の褒め言葉
元美容師が店長を務める串かつ屋。これだけでもちょっとユニークだけど、BOBの料理もなかなか個性的だ。たとえば、「揚げカルフォルニアロール」(カリフォルニアではない)。トムがカナダで暮らしていた頃に出会った料理から着想を得た一品だ。


ほかにも、故郷・島根の食文化を取り入れた料理や地ビールなど、トム自身のルーツがちらほら。地元愛が強いのかと聞いてみると、答えは「全然強くないんです」とのこと(笑)。そんなトムにとって、うれしい褒め言葉がある。

見た目も味の組み合わせも、いい意味で予想を裏切りたい。なるほど、だからこんなに楽しい料理が生まれるのか。聞けば、絵を描くことも好きで、もともと何かを作るのが好きな性分らしい。かつては美容師としてヘアスタイルを作り、今は串かつを作っている。ジャンルはずいぶん違うけれど、どこか通じるところもあるのかもしれない。
もっとも、昔は料理が大嫌いで、ガスコンロに火をつけるだけでも怖かったそう。そんな人が今では串かつ屋の店長なのだから、人生わからないものである。



好きになったら、とことん好き
「そもそも、美容師になりたかったわけじゃないんですよ」。いきなり意外な話をしてくれた。島根県出身で、中学時代は金髪に短ラン・ボンタンという、ヤンチャな少年だったらしい。そんな彼に美容専門学校への進学を勧めたのが、当時お世話になっていた先生だった。


高校ではバドミントンに打ち込み、県内3位になるほどの腕前に。そして卒業後、先生の言葉どおり神戸の美容専門学校へ進学した。専門学校での日々は、学生時代で一番楽しかったという。周囲の学生たちに刺激を受け、少しずつ美容師の仕事にも興味が湧いてきた。
とはいえ、卒業後は地元に帰るつもりだったらしい。母親や祖母のそばにいた方がいいのでは、と考えていたのだ。そんなトムの進路を変えたのが、専門学校の職場体験で訪れた『shiomi H』との出会いだった。オーナーの潮海さんと話すうちに、その人柄にすっかり惹かれたという。

神戸に残るなら、この人のもとで働きたい。でも、島根に戻るつもりもあった。迷った末に母親に相談してみると、返ってきたのは「私たちも神戸に遊びに行きたいから」という、なんとも意外な言葉。そんな後押しもあって神戸に残ることを決めたトム。就職活動の締め切りはとっくに過ぎていたものの、思い切って潮海さんに電話をかけてみた。すると、返ってきたのは「待ってたよ。おいで」という言葉。なんと、そのまま入社が決まってしまったのだ。


以来、トムにとって潮海さんはずっと特別な存在だ。「信頼できる人ができたら、その人のことをとことん好きになるんです。潮海さんも、何年一緒にいてもおもしろい人なんですよ」とのこと。ちなみに、その魅力を表現すると「ずっと味がするガム」なのだそう。これは、トム流の最大級の褒め言葉ということで。
カナダで突然、無職になった話
もともと海外の文化が好きで、いつかは現地で働いてみたいと思っていたという。美容師になって7年ほどが経った頃、潮海さんに相談すると「今しかないから行ってこい」という言葉が返ってきた。そればかりか、現地で働く美容師まで紹介してくれた。こうして向かったのが、カナダのビクトリア。ところが半年ほど経ったある日の朝、思いがけない事件が起こる。

異国の地で、突然の解雇。さあ、どうする?
そこでトムが始めたのが、出張美容師だった。SNSで「日本人の美容師です。どこでも行きます!」と宣伝すると、少しずつ仕事の依頼が舞い込むように。住んでいたシェアハウスのオーナー夫妻も、髪を切る代わりに家賃を安くしてくれたという。まわりの人たちに助けられながら、なんとか生活費と帰国の航空券代を稼ぎ、約1年のカナダ生活を終えた。


さて、帰国後に真っ先に連絡したのは、やっぱり潮海さんだった。「戻っておいで」と声をかけてもらったものの、今度は美容師としてではなく、何か新しいことを一緒にやりたい。そんな話から浮上したのが、絵理さんが長年温めてきた飲食店の夢だった。
「それなら僕、飲食の修業をしてきます!」
こうしてトムは、お寿司屋さんやグランピング施設で働きながら、フリーの美容師としても活動。その後、BOBの店づくりをサポートするファイブスクエアの『日本酒バル・米屋 イナズマ』でも経験を積んだ。そして2026年4月、ついに『串かつBOB』がオープンしたのだった。
BOBの完成度、ただいま30%
こうして晴れて串かつ屋の店長になったトム。美容師時代から、お客さんと話すのが大好きだった。本人いわく「仲良く喋れたら、絶対にリピートしてもらえる」と頼もしい。ところが、いざ飲食店のカウンターに立ってみると予想外の厳しさがあった。

長年の友人といつもの調子で話していたら、周りのお客さんからは少々乱暴な言葉遣いに聞こえてしまったことも。なるほど、気心の知れた仲だからこその距離感も、初めて見る人には伝わらない。しかも店長となれば、目の前の一人だけでなく店全体を見なければならない。美容師と串かつ屋。同じ接客業でも、勝手が違う。

最近は、お客さんからどう見られているか、自分の振る舞いがどう受け取られるかを、以前より考えられるようになったという。一方で、お客さんに気持ちよく過ごしてもらうために、トムなりに大切にしていることもある。たとえば、BOBではあえてラストオーダーを告げない。

ラストオーダーを聞く代わりに「何か食べます?」と声をかける。なんだか、家に遊びに来た友達をもてなすような感じだ。
オープンから約半年。近隣の飲食店で働く人たちが仕事終わりにふらりと顔を出すなど、少しずつ常連さんも増えてきた。とはいえ、まだまだ試行錯誤の真っ最中。現在のBOBの完成度を聞いてみると、返ってきた答えは「30%」。低い! まだ70%も残っている。


BOBを軌道に乗せた先には、さらにもう一店舗という構想もあるそう。潮海さんとも、次はどんなことをしようかと話しているという。「僕はどこまでいっても、やりたいことをやりたい人なので」。
まずは完成度30%のBOBを、どこまでおもしろくできるのか。トムの挑戦は、まだまだ始まったばかりだ。とりあえず、元町に一杯飲みに行ってみよう。串かつのおかわりは、いつだって歓迎してくれるはずだから。

